童貞には友達がいた

2022/4/22追記:11年経って、この記事内での「童貞」という言葉に、当時とは比べ物にならないくらいの揶揄や侮蔑を感じるようになりました。当時はどこか世間を知らない、小さな世界の中の二人の男の子たちのもどかしさやまぶしさを、この言葉で言い表したつもりでした。今の自分の感覚ではこの言葉を選ばないと思います。
(追記ここまで)


ラブレターズinコレドシアター「LOVE LETTERZ MADE 2」
7/22 19:30 コレドシアター


ひとつネタを見た後、ただ「おもしろかったなぁ」だけで終わらず「この人たちの単独ライブを見てみたい!」と思う芸人さんがいる。
私の場合、すでに見ることが叶った人も含めると、トップリード、うしろシティ浜口浜村、クロヤギ、ダーリンハニー、ヨージ、そしてラブレターズ風藤松原は、単独ライブをみて本格的に好きになったのでちょっと例外だ。
単純にたくさんネタが見たいと言うだけでなく、この人たちの世界観に浸りたい、どんな風景を見ているのかが知りたい、単独ライブに行くときは、いつもそう期待していく。繰り返すが、単にネタが見たいだけじゃない。
ラブレターズは、その気持ちを十二分に満足させてくれる素晴らしい初単独ライブを見せてくれた。


会場と、映像と、演出と、演者が、こんなにひとつのパッケージのパーツとして過たず機能しているライブは稀有だと思った。「ラブレターズ色」というよりはまず「ASH&D色」と感じたのだけど、ASH&Dの他のライブに行ったことがあるわけじゃないので完全にイメージだ(都下随一のおしゃれコント事務所)。
終わった後は、唯一無二のラブレターズの色を知った。
この前の王子小劇場でのプチ単独でも感じたことだけど、彼らは、当代随一の童貞コントをする。これは目下、私の見る範囲の都内で他の追随を許さないぶっちぎりだと思っている。ますますその思いを強くした。
年明けのケイダッシュライブでみたどきどきキャンプのネタも素晴らしい気持ち悪さだったが、あれは一周した童貞のような気がする。
とまぁ童貞童貞と連呼しているが、別に私が童貞の生態について何を知っているわけではない。ただ、あの全編に漂う「村上春樹全部読んでます」感に、カユくなるような感心をおぼえるだけだ。


言葉を尽くしてほめたたえたいのだけど、結局なにも書き表すことができない。
彼らだけを見に来たお客さんの前で、彼らは、彼ららしさを100%以上発揮し、魅了し、観客一人ひとりの心にしっかりと打ち立てた。
お笑いは人柄と不可分で、「この人たちにしかできない」ものを見つけるまでが長い長い旅だ。
ラブレターズはそれをもう持っている。持っているだろうなとは思っていたけど、それは、思っていたよりはるかに強くたくましく、すでに決定的な武器だった。
みくびっていたんだなぁ。まだ「せいなるナイフ」くらいなのかと思っていたら、とっくに「いかずちのつえ」は手にしていたんだ。ラブレターズは。きっと初めて見たときから。


最後のネタ、「愛は万人に」。私は泣いた。お笑いに限らず映画でも小説でも、「誰にとっても悲しいこと」で泣かせるのは反則だと思っている。悲しくて泣いたんじゃない。あの時、溜口さんがひとりぼっちではなかったことが嬉しくて泣いたのだ。


童貞には友達がいた。


その事実ひとつで、どうしようもない世界はもうそれでいいのだと思えた。