なるべく遠くへ行ける服

小沢健二「ひふみよ」神奈川県民ホール公演を見て思ったことが書いてあります。
ネタバレをしておりますがレポートではありません。極々私的な、あまりにも個人的な感想にも至らない思いですが、これから見られる方はどうぞご覧にならないでください。
コンサートそのものの感想は、いつか書ければいいなぁ。


どんなことも細大漏らさず書きたいと思うけど、どうにも言葉にならない。


あのときあの空間で思ったことを無理に言葉にしようとするなら


「人生ってこういうことか」


なんども考えたけど、多分これしかないと思う。


いくつかの曲で、涙がこみ上げた。「ブギーバック」で、止めようもなく涙が溢れた。
嬉しいとか、悲しいとか、懐かしいとか、そう言う感情の一切伴わない涙だった。とにかく、処理しきれなくて、飽和状態になった何かが涙になって出てきてるようだった。
歌えないくらい泣けて泣けて、歌いたくて歌った。


13年の不在と言うことに、意味を見出したくなかった。確かにみんな待ちわびていた。開演前の異様な雰囲気でもそれはわかった。
でも、13年待ったから、こんなに熱狂しているんだとは思われたくなかった。誰にかはわからないけど。
もしこの13年の間、小沢くんがずっと新しい音楽を作ったりコンサートをやってくれたりしていたら、どんなに生活の楽しみであったであろうと思う。
これは、おなじくらい大好きなスピッツが、まさにそうしていたからわかる。
スピッツは毎年せっせとライブをやって、私もせっせと通う。今年は外れたけど。
その楽しみは、毎年薄れると言うことはなく、「13年ぶり」に、その「毎年」以上の価値を見出すのはどう考えてもおかしい。
でもやっぱり、待った分熱狂する、それも至極真っ当だとも思う。


とにかくうまく言えないのだけど、「13年ぶり」をありがたがりたくないなぁと思いながら行ったライブだった。


客席で、小沢くんを見ながら、ときどき歌って、ときどき泣いて、13年経ったんだと実感した。
それは、郷愁とか、怒りとか、喜びとか、そんなんでもなんでもなく、ただ、ただひたすら、小沢くんにも、サポートのメンバーにも、私にも、他の観客ひとりひとりにも、とにかく、13年分の時間があったんだと、言う事実だった。
13年経ったから、と言いたくないのに、13年があって、今小沢くんはこの曲をやって、今私はこう受けとめられているんだ、と言うことが嫌でもわかる。13年の間のいろんなことがなければ、少なくとも今のとおりではなかったということが。
なんだかなにもかもにものすごく納得がいくのだ。だからといって、この13年分を全部肯定されるとか、許されるとか、他力本願な事でもなく、ただ、ただこの13年分の人生を、まるごと自分の上に実感する時間だった。
そのとき、初めて「人生」という言葉に行き当たって、「人生」はこういう意味の言葉だったのかと知った。


ただ昔の曲をやるだけの懐メロコンサートだったら、こうは思わなかったかも知れない。
小沢くんは、曲の間に朗読を挟んで、今思っていることを話した。
朗読が始まったとき、あ、私の知ってる小沢くんにそっくりだと思った。
「愛し愛されて生きるのさ」の中でも小沢くんは語っていた。そのことを雑誌で、「ただでさえ歌詞の量が多いのに、語って増やしちゃって」というように言っていた。「ドアノック」でも「早口な歌で渚のシンドバットを超えたっていわれている」と言っていた。「犬」には長いライナーノーツがついていた。
私にとって、小沢くんは「べらべら喋る人」というファーストインプレッションがあったらしい。
よく知ったようにべらべらと喋る小沢くんは、今の話をしていた。今どう思っているのか。
いくつかの曲の歌詞を変えて歌った。かつて「さよならなんて云えないよ」を「美しさ」、ブギーバックを別バージョンにしたときは、自分の深く愛した曲を否定されたような寂しさを覚えた。
でも今回の変更は、単に、昔の言葉だとしっくり来ないんだろうな、と理解できた。同時に、かつての曲が小沢くんにとってかちんと固まった化石ではなく、自分の気持ちを届ける装置として機能し続けていることを嬉しく思いさえした。


色んな歌で極私的なことを思い出した。「カローラIIにのって」を聴きながらカローラを模写していたこと、「戦場のボーイズライフ」が初めて流れるラジオで窓開けてもラジオの電波には余り影響がないと学んだこと、「痛快ウキウキ通り」のPVを見て以来ずっとマフラーの両端を体の前に垂らしていたこと、一番最初に偶然CDTVで「今夜はブギーバック」を聞いて口が開きっぱなしになって次の日CDを買いに行ったんだけど2種類出ていると知らずまずラップの方を買って次にボーカルの方を買ったこと、あれが、自分で初めて買ったカルチャーとしての音楽CDだったこと。
誰とも共有のしようのない体験は、小沢くんの歌が私の人生の1部であるということだった。


人生の1部である歌と、新しい歌と、今の小沢くんが思っていること、それを聞いていると、自分が過ごした13年分の人生が、確実にあったのだということを、重さを感じるかの如く体感した。


生きていればいいこともあるもんだね――違う、こんな奇跡のような瞬間は必然と思えない
これを励みに頑張ろう――違う、こんな希有な事件を頼りにはできない。
今日まで頑張って良かったね――違う、今日を目標に生きてきたわけじゃない


この13年、ズルもしたしマジメにもやってきた。ただ小沢くんを待っていただけの年月じゃない。そして、この日があったからと言って明日から聖人君子のように生きられるわけじゃない。
ただ、この13年が、確かにあったのだと、普段は見えない「時間」そのものがまざまざと見えるようで、良いとか悪いとか審判を下されるのではなく、ただ、なにか光が射すような思いがした。


ついでに時代や芸術の種類を問わず、信頼をもって会いに来てくれた人にいきなりビンタを食らわしたり皮肉を言って悦に入るような作品たちに、この世のありったけの不幸が降り注ぎますように。

小沢くんが「犬」のライナーノーツで言っていた、こんなライブではありませんようにとそれだけ願っていた。
このライナーノーツは私にとって結構特別で、まだドゥワッチャもなくて歌詞を通じてしか知らなかった小沢くんの「地の文」に初めて触れたのがこの文章だった。
私にとって小沢くんは、妙なキャラクターの着いた黄色のTシャツを着て

いつか近くで僕がライブをやることがあったら、来て一緒に歌ったり、踊ったりしてほしいと思う。

と言う気の良い兄さんだった。その後ボーダー王子になったりダッフル王子になったり文豪になったり肩透かし大王になったりするんだけど。


小沢くんがこの先どこで何をするのか知らないけれど、たまには私たちのいる町の近くで、ライブをやってほしいと思う。そこで一緒に歌ったり、踊ったりしたい。
まだ中学生だった私は、「犬」を手にしたとき思った。この人が近くでライブをやったら絶対行こうと。それで行ったのが「VILLAGE」になっている武道館コンサートで、あれが人生初のライブだった。