ひかりかがやく90年代とか

おおいっしゅうかん書いてなかった……。ついたーのせいというより単に繁忙期のせいですが、でもついたーで叫んでなかったら小沢くんのことくらいは叫びに来たろうな、うん。


小沢くんのことを、山ほど書こうかと思ったけど世に星の数ほどある「小沢 健二と私」のなかでも相当気持ち悪い文章ができるだけなのでやめといて、なんか、まぁ、こういう事もあるんだなぁ。「待つ」ことも常態化するとそれはもはや「待つ」ことにはならないんだなぁとしみじみ思ったり、そうなると、今エイトが8人に戻ったら私はどう感じるんだろうね。


フライングで「札幌でやるらしい」という情報が流れたとき、なにしろ乗り気にならなかった。それは単純に「札幌は近くない」。今でもまだ、私の小沢くんに対するスタンスは「犬」のライナーノーツを読んだあのいっとう最初から変わっていないと気付いた。と言うか、いっぺん変わって、結局そこに戻った。
あのライナーノーツの最後で、小沢くんは
「いつか近くで僕がライブをやることがあったら、来て一緒に歌ったり、踊ったりしてほしいと思う。」
と言った。
近いなら行きたい。小沢くんが近くでライブをやることがあるなら、行って一緒に歌ったり、踊ったりしたい。
正直な所この13年間で私は学生から社会人になりジャニオタになりお笑い好きになり、福島あたりまでなら「近い」に入ってしまうんだけど、中学生の感覚で近いところのチケットが獲りたいな。と言いつついざとなると贅沢言わないどこでも良いとか口走りそうだ。


同じライナーノーツで小沢くんがこう言っている。
「ついでに時代や芸術の種類を問わず、信頼をもって会いに来てくれた人にいきなりビンタを食らわしたり皮肉を言って悦に入るような作品たちに、この世のありったけの不幸が降り注ぎますように。」
これは忘れていた。ここ最近の小沢くんの仕事のいくつかに対する私の感情を、15年以上前に他ならぬ小沢くんが誰より的確に言い表していたのを忘れていた。
今度のコンサートが、そういうものではないと言う根拠になる文章ではないけれど。一報を聞いてから頭の中ではずっと、「ある光」と「地上の夜」が流れている。