ふたりぐみのひとびと

ここの過去ログによると去年の今頃は私相棒にだだはまりしてたみたいですね(他人事)。そう言えば1日13時間相棒視るとかやってたわー。やっぱりオタって、好きなものがないと生きていけない生き物なのね。「じゃない方芸人」からそろそろ1ヶ月が経ちますが、予想外に熱が冷めません。
しかしいかんせんお笑いの世界の作法もわからないし、なによりうちに来てくださってる方は私がどうこうじゃなくエイトのことが読みたいのだろうから自重気味(これでも)にしていたのですが、少なくとも4人の方は読んでくださるらしいので、好きなように書こうかと。ま、じゅーぶん好きなようにやってますが。てか、うち本を正せばジャニブログじゃないのでいちいちこういうこと書くのもあれなんですけども。


まぁでも、エイトにはまったようにオードリーにはまるかと言えばそういうことではなく……。年明けに、「次は自分の意志でどうにかできるものにお金と時間を費やそう」と決めたので、芸人さんもその括りからは外れるのでね、生活の楽しみのひとつとして(それにしては今このしゅんかんは滾りすぎよねという自覚はある)。
そう言う意味で、醤油を入れたら醤油味になり、味噌を入れたら味噌味になる料理は私にとっては優しいものです。「易しい」じゃないですよ。料理こそほんとに奥深い。


まぁでもなんで今お笑いそしてオードリーと、いちばん疑問なのは自分自身だったりします。そんで私の中でどういう位置づけかなーと考えてみて、「聖☆おにいさん」が一番近いな、と言う結論になりました。なんというか、読んでるときと視てるとき、たぶん、口角の上がり具合がいっしょ。オードリーはおもしろいんだけど、おもしろいのと同時になんかこう、嬉しくなると言うか、やわらかくぬくくそれでいて頑固なものに触れている気分になる。それは、コンビの信頼関係だったり、お笑いに対する真摯な愛だったり、そういうネタ以前にあるものなのかなと思う。「聖☆おにいさん」も、笑いの向こうにふたりやふたりを取り巻く世界への愛と、宗教に対する敬意が見える。
あと、「これは自分のものじゃない」という感覚がひじょーに似ている。オードリーは、まず、お笑いという時点で私の範疇ではない上に、売れに売れてからようやく知ったのでもうものすごい外様感。「聖☆おにいさん」は、私いっぺんモーニングツー誌上で読んだとき、おもしろさが理解できなかったんですね。単行本になってからまとめて読んでみて、「なんでこれがわからなかったんだ私の節穴」と頭を抱えたあたり、なんかこう罪悪感というか踏み込めない感じがいまだに残る。
もちろんなんだって自分のものじゃないんですが……なんだろうな、あの、わかりやすく言うと好きなんだけど「担当」にはなれないんだろうなーというあの感覚。


そういえばもうひとつそう言うのがあって、「ベベチオ」。曲の全部が全部好きというわけではないのに、いちどライブに行ったらそのあんまりの心地良さにすっかりはまってしまった。うっかり大阪まで行ってしまうくらい(いまのところバンドで遠征したのはベベチオだけ)。こないだのアルバムがあんまり好みじゃなかったんでしばらくライブ行ってなかったりするあたり、けっして熱心なファンではないけれど、たまに聞いては良い気分になるこのふたりぐみも、なんか、似た位置だなぁ。


それぞれのキャッチフレーズを並べてみると


ブッダとイエスのぬくぬくコメディ/

聖☆おにいさん(3) (モーニング KC)



\すくってくれて ありがとう/

JAPANESE SPOON [OBCB0008]



\心地よいズレ漫才/

ニンテンドーDSi ライムグリーン【メーカー生産終了】ニンテンドーDSi ピンク【メーカー生産終了】


……共通点あるような、ないような……。ちなみにベベチオのは画像のアルバムのキャッチフレーズ、オードリーのはレッドカーペットのそれです。
たとえば、癒しだとか和みだとか、呼んでしまえばある程度簡単に伝わるのかも知れないけれど、そこは違うと言う。スチャラカ会社員ごときの安い傷の安い癒しとみなすには、3者とも覚悟がありすぎる。


まぁそんなわけでとうぶんこんな感じです。